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歴史的な景観づくりに資金を投じた小諸市。「いかに特色を出すかにかかっている」と市担当者は言う=長野県小諸市本町 |
新幹線開業でJRが切り離す在来線が常に「並行」して走るとは限らない。新幹線の駅へのアクセスが不便になり、特急もなくなる場合も。埋没しないために、策はあるのか。
◆「歩く観光」売りに◆
「天気がいいと北アルプスまでずーっと見えるんです」
長野県小諸市中心部にある「北国街道ほんまち町屋館」は、大正時代に建てられたみそ、しょうゆの醸造所の姿を残したまま改装した観光拠点施設だ。山並みが美しいその中庭で11月下旬、スタッフの関本純一さん(68)が観光客らに語りかけていた。
島崎藤村の詩に「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ」と歌われ、全国的に知られる小諸は江戸時代、物流の拠点となる問屋町として栄えた。長野新幹線が開通する1997年までは、信越線(上野―長野)を走る特急「あさま」が小諸駅に多くの観光客を運んできた。
だが、新幹線のルートからはずれると、小諸駅は信越線を引き継いだしなの鉄道の快速停車駅へと「降格」。新幹線が止まる佐久平や上田、軽井沢へはJR小海線かしなの鉄道に15〜25分ほど乗らねばならなくなった。
その後、駅前の大手デパート2軒が相次いで撤退、商店街は空き店舗が増えた。長野県商業統計調査によると、07年度の市内小売業の販売額は年間約387億円。200億円以上減った。
日本100名城の小諸城跡にある懐古園の来場者も97年の112万人から昨年は65万人にまで落ち込んでいる。
ただ、市全体でみると観光客数は以前と変わらない。その背景には、市が「歩く観光」に力を入れ、市の中心部を通る旧北国街道周辺の歴史的な街並みの保全に努めたこともあるようだ。賛同を得た店や民家84軒に計4億8千万円を助成し、昭和初期以前の建物は修復、それ以降の建物は昔の建物を模したデザインに改修してもらった。
また、市北部の高峰高原は山歩きファンらリピーターが多く、新幹線開業以来、来訪者が10万人も増えた。町屋館の08年度の来館者も、開館した01年度の約3倍の4万3千人に伸びている。
「新幹線なんて関係ない。魅力があればいくらでも来ますよ」。町屋館で関本さんの話を聞いていた埼玉県熊谷市の男性(62)は言った。この日は望めなかった北アルプスを見に、「また来ます」。
◆逆風に強い危機感◆
4日以降、青い森鉄道が引き継ぐJR東北線沿線の危機感も強い。
青森からも八戸からも特急で30分前後の野辺地へは、10分ほど余計に時間がかかるように。新幹線の新駅七戸十和田まではバスだ。三沢からは午後11時過ぎでも青森へ行けたが、4日から青森行きの終電は午後9時59分になる。
このため、関係者はさまざまな戦略を練る。
4〜5日は、街おこしに取り組む八戸市のNPO法人アクティの町田直子理事長が指導役となり、青い森鉄道で「沿線の魅力MY体験ツアー」をする。乗り放題切符で各駅のグルメや温泉を楽しんでもらおうという試みだ。
「広域的に魅力を発信すれば、観光客の楽しみを増やせる」と、町田さんは地元の努力に期待をかける。
そんな観光資源の代表例が温泉だ。三沢市の古牧温泉や黒い源泉の東北温泉、野辺地のまかど温泉、浅虫温泉のほか、小さな温泉も豊富にあるが、「うまく表現できていない。県民でにぎわいを作れば県外へのアピールになる」。
しかし、現時点で小諸ほどの全国的な知名度があるとは言い難い。宿泊客の減少が止まらない青森市の浅虫温泉の関係者は、新幹線が追い打ちをかけないかと気をもむ。
温泉街に長くとどまってもらおうと、9旅館が個別に開発したスイーツとコーヒーをセットにして500円で振る舞う「ワンコインスイーツ」などのアイデアが、どこまで狙い通りにいくか。
浅虫温泉旅館組合の蝦名幸一組合長には再生への手応えはまだない。「新幹線のためではなく、息の長い温泉地作りを真剣に考えるときだ」と、一喜一憂を戒めている。
(北沢拓也)=おわり